48『その森に語られた伝説』



 ああ、その街ならこの道を真直ぐ行ったところにあるよ。
 迷いやしないさ。この運河に反って一本道だからね。

 え? この運河は自然に出来たようには見えないって?
 そりゃそうさ。これは元々闘いの跡だったんだ。

 興味ある? じゃ、ちょっと話をしよう。
 この森は元々砂漠だったのさ……



 ファルガールはいつの間にか目を覚ましていた。
 しばらく何も考えずに天井を眺めていたが、気合いを入れて身体を起き上がらせると、自分のベッドに腰掛けて隣のベッドを見る。
 そこにはリクが眠っていた。

 リクは全く鼾を掻かない。すうすうと寝息をたてるだけで、寝顔も可愛いものだ。成人したとはいえ、カルクに少年といわれたのも頷ける話である。
 そんなリクの寝顔をファルガールはしばらく眺めていた。

(よくやったよな、お前)

 事実上の大会決勝戦、その直後に大災厄と闘って、それにも打ち勝ってしまった。こんな芸当のできる魔導士は他にいるだろうか。
 自分が十五年前の大会の決勝戦でカルクと闘った後の事を思い出す。
 あの時は丸一日眠ってもまだ足りない感じだった。

 大会前にファルガールがオキナに話していた通り、ファルガールは今回の大会でリクに足りない、たったひとつのある事を身に付けさせるためであった。
 その一つのある事とは、自分で判断する事である。
 リクはファルガールを師事する間、あまり自分で判断して行動するという事がほとんどなかった。それ故に自分の行動の判断をファルガールに任せる図式が出来上がってしまっていたのである。
 しかし大会においてリクの行動を決定付けたのは、彼から一時離れていたファルガールではない。紛れもなくリク自身の意思によるものだ。
 今回の大会を経て、リクは足りなかったものも完全に身に付けた。おまけにリクの使えなかったレベル5以上の魔法まで使えるようになった。

(……もう俺の教える事はねぇ、かな……)

 あるにしてもリクはもう自分で学んでいけるだろう。
 そう考えると、何だか寂しい気持ちもしないではない。

 ファルガールはゆっくりとベッドから立ち上って部屋から出ていった。


   *****************************


「ギャアギャア騒ぐんじゃないよっ! 英雄だろうが何だろうがあんだけのことしたんだ、少しは休ませようって気にはならないのかいっ! とっとと出て行きなっ!」

 恐ろしい剣幕の怒号に、今回ファトルエルを救ったリクやファルガールを一目見ようと大勢詰め寄っていた人々が『旅宿・バトラー』を飛び出していった。
 やっと静かになった宿の入り口でその怒号の主、オウナが仁王立ちしている。
 階下に降りて来たファルガールはそんなオウナに話し掛けた。

「相変わらず、すげぇ迫力だなァ……」
「あたしの怒鳴り声で動じないのはウチの人とアンタくらいのもんさ」

 オウナは振り向きもせずにそう答えた。
 そして一度、深呼吸ともとれる深い息をつくと、やっとファルガールを振り向き、しかし一瞥もくれずに彼の前を食堂に向かって通り過ぎて行く。

「朝食食べるかい?」
「ああ、あんまし食欲ねぇけど軽く食べとくか」

 ファルガールは返事をするとオウナの後について食堂に入った。
 そしてがらがらの食堂の席の中から、奥の一席についた。そしてぼんやりと向かいの席を見る。そこはいつもオキナが本を開いて陣取っていた席だった。
 彼はまだオキナが死んだ事を、オウナに知らせていない。

(さて、どう言えばいいか……)

 思考を巡らすファルガールの前に、オウナがオートミールの入った器を置く。そのまま彼女はその向かい、つまりオキナがいつも座っていた席に腰掛ける。
 そしてオウナは一緒に持ってきたお茶をずるっと一口すすった。

「食べないのかい?」
「猫舌だからな、冷めるまで待たなきゃならねぇ」

 そう答えてファルガールは手元の湯気が立っているオートミールに目を落とす。
 視線を下に向けたまま彼は言いにくそうに切り出した。

「その、なんだ……オキナのことなんだが」
「死んだんだろ?」

 先に言われてファルガールは意外そうに顔をあげる。

「知ってたのか?」
「いいや」と、オウナは首を振る。「ただ、今まで何も言わずにこんなに長く家を空ける事はなかったからね。それに周りからもいろいろ睨まれてた人だから。ほら、不器用な上に頑固だったろ? 何かと敵を作りやすい人だったんだよ」

 そして手元のお茶をもう一口飲む。
 その間にファルガールは何か掛ける言葉を探すが、なかなか見付からない。
 目の前のオウナの表情は悲しむでもなく、怒るでもない。非常に穏やかなものだった。ただ、黙ってお茶をすすっている。

「……済まん」
「何が?」
「その……俺の都合にオキナを巻き込んじまって……。俺が来なけりゃオキナは死ななかったかもしれねぇ」

 そう言って、ファルガールは神妙な面持ちで頭を下げた。
 それを見たオウナはファルガールが頭を下げた事実に一時驚きの表情を見せたが、また穏やかな表情に戻って言った。

「いいや、どの道あの人は近々おっ死んでたよ。来る日も来る日も研究研究、他の事には目もくれない。自分の健康も、危険も何も顧みなかった人だからね」

 そんなオウナの前に一冊のノートが置かれた。
 ファルガールはぱらぱらとページをめくり、目的のページを開くとその文章を指差しながらオウナの方に向けて差し出した。

「読んでみな。遺言になっちまったが、オキナの最後の言葉だ」

 それはファトルエルの“ラスファクト”《グインニール》の在り処を記した後に書かれていた文章だった。
 オウナは差し出されたノートを凝視し、数瞬迷った後に結局ノートを手にとり、ファルガールが指を差した文章に目を通す。

『私は君に全てを託したこの時点で全ての研究を打ち切りたいと思う。
 どうか止めないでくれ。私はもう疲れたのだよ。手がかりのあまりに少ないものを探して回るのは。

 最後に私の無二の友である君に聞いて欲しい事がある。
 私はこの入り口を見つけるために非常に多くのものを費やした。もちろん金もだが、数える事の出来ないものは果てしなく大きい。いろいろな人の協力が私の研究の礎となったのだよ。
 これから私はそうして出来た、限り無く大きな借りを返して回ろうと思う。研究一筋に生き、老い先短い私ではできる事は少ない。だがそれでもそれに全力を尽くすつもりだよ。

 特にオウナには苦労ばかりかけさせた。“ラスファクト”を探すと決めて、このファトルエルにやって来たが、厳しい環境に辛い思いをしたのだろうが、それでもいつも励まされるのはいつも私だった。
 あまりに手がかりの少ない研究に私は何度となく挫折しかけた。しかしオウナの言葉を聞くと折れかけた心も強い芯を入れたように補強されたものだ。
 昔からこれは変わらない。オウナの喝が必要だと感じたから私は彼女と結婚したのだ。
 そんな彼女に私は何を返せばいいだろうか?
 オウナは私に大きなものを与えてくれたが、私が与えられるものは少ない。
 しかしできる事なら何でもやろう。

 君と別れ、家に帰ったら先ず宿の掃除を手伝ってみようと思う。しかし掃除なんてやった事がないから逆に足手纏いになって煙たがられるかも知れないな。
 研究一筋だった私が急にそんな事を始めて彼女はどんな反応をするだろうか? 少し楽しみだ。
 君が無事“ラスファクト”を見付けて宿に帰って来たら、他に私がオウナに何が出来るか、何をすればいいか相談に乗ってくれないだろうか?
 君ならば私よりは女性の扱いについて詳しいだろうからね。
 君の帰りを、首を長くして待とう。
 だから、必ず帰って来てくれ。

                   夢見る君の老いたる友・オキナ=バトレアス』

 ぱたっ、ぱたっ、と涙が紙を打つ音が誰もいない食堂に響く。
 震える声でオウナは言った。

「全くだよ……。いきなり掃除なんてされたら逆に迷惑さ。馬鹿みたいに何かを追っかけてりゃ良かったんだ」

 いつも迫力のあるオウナを見ているだけに、涙を見せる彼女の姿はファルガールの胸にこたえるものがあった。
 怒鳴られるのは平気だが、泣かれると弱い。

 そして長年連れ添ったオキナとオウナの互いに想いあう気持ちの深さを思い知る。そして想い人を亡くす悲しさも。
 自分も今回危ういところでマーシアを失いかけたが、もしあの時彼女が死んでしまっていたら自分はこんな風に泣いただろうか。
 また、自分が死んだらマーシアはどうするだろう。
 それを考えた時にファルガールは思った。

(先立つのは罪だぜ、オキナ)


   *****************************


 リクが目覚めたのは夜だった。
 砂漠の夜の冷え込みに身体を震わせ、ゆっくりと目蓋を持ち上げる。そして身体を起こした。
 今自分が寝ている懐かしい似非ベッドを見ると、ここはどうやら自分の宿のようだ。
 フィラレスに借りた“滅びの魔力”を操って《グインニール》にぶつけてからの記憶が全くない。おそらくファルガールが自分を運んで来てくれたのだろう。

(そうだ、ファルガール……!)

 リクはすぐさま隣のベッドを見た。
 しかしそこにファルガールの姿はない。

(オウナに聞けば分かるか……。そう言えばのど乾いたな)

 長時間寝ていると腹が減るより先にのどが乾く。
 リクは先ず喉を潤すための水を求めて階下の食堂に向かった。

 食堂にはオウナがいた。火を灯していない暗い食堂の奥の一席で一冊のノートを黙って見つめている。今までとは全く違った意味で近付き難い雰囲気だ。
 呆然とそれを見つめていると、オウナの方がリクに気付いた。

「ああ、起きたのかい?」
「あ、うん」と、答えたリクの声は乾きの為にかなりしゃがれていた。

 それでオウナも気がついたのだろう。黙って立ち上がり、台所から水の入ったコップをもって来た。
 リクはそれを手ぶりで感謝しつつ受け取ると、口に含み、下でかき回して中を湿らせる。そして少しずつ飲み込み、喉とその奥の食道にも水を行き渡らせた。
 そうして水をゆっくり味わうと空になったコップをオウナに返した。

「ありがとな」
「いや、いいさ。それより外にあんたのお客が来てるよ」
「客?」


   *****************************


 誰だろうと訝りながら宿の外に出る。
 しかし外に出ても彼の目に人の姿は入らない。その代わりに彼の視界を大きく遮るものがあった。
 砂色の甲殻。それは砂漠を渡る運搬サソリのものであると気付くのにさほど時間は要しなかった。そしてリクの客になる可能性のある人物で運搬サソリに縁の深い人物は二人といない。

「コーダ?」
「兄さん、気が付いたんスね。今夜の内に起きなかったらどうしようかと思いやしたよ」と、リクの呼び掛けに応えて、運搬サソリの御者席からコーダが顔を覗かせた。
 そのコーダにリクは眉をしかめて尋ねた。

「俺が今夜中に起きなかったら何でお前が困るんだ?」
「ま、いーからいーから乗りやんせ!」

 そんなリクに対しコーダは悪戯っぽい含み笑いを見せて御者席から飛び下り、さっとリクの後ろに廻って彼を運搬サソリ《シッカーリド》の客席に乗せる。
 為されるがままに客席に座らされたリクを置いてコーダは御者席に移った。そして短い掛け声と共に《シッカーリド》を発進させた。

 南東区の迷路小路を抜け、南通りに出る。
 大通りは松明が等間隔に灯されて明るく、賑やかだった。笑顔に溢れた人々がお祭り騒ぎをしている。そう、それは実際、祭だった。
 静まり返る普段の砂漠の夜とは全く違った光景をリクは目を丸くして眺めた。

 そうしている内にコーダは《シッカーリド》を停止させた。
 そこは始めファルガールとの待ち合わせに使い、二度目に来た時はマーシアと酒を飲んだあの酒場だった。
 《シッカーリド》を停めたコーダは全くの異世界に来てしまっているかのように、目に映るもの全てを呆然と眺めているリクを半ば強引に客席から引きずり下ろした。

「ちょっ、ちょっ……コーダ!?」

 異常に戸惑うリクだったが、コーダはそれでも「いーからいーから」と言って何ら説明をしようとしない。
 そして最後の仕上げとばかりに彼はリクを思いきり突き飛ばした。

「うわわっ!」

 突き飛ばされた勢いでつんのめり、危ういところで転倒を免れながらリクは目の前の酒場の中に突っ込んだ。
 途端、彼を盛大な拍手が迎えた。

「いよっ! ファトルエルの救世主っ!」

 奥のカウンターに座っていたファルガールの掛け声を筆頭に、酒場にいる全員が歓声をあげる。
 その酒場にいる人物たちは皆見知った者達ばかりだった。
 ファルガールの両隣に座っているカルクとマーシア。向かって右手奥のテーブルに付いているのはカーエスとフィラレス、そしてクリン=クランにジェシカまでいる。
 いや、もう一人、彼の後ろでニヤニヤと笑っているのはコーダだ。
 そのコーダにリクはぼそっと尋ねた。

「どうなってんだ? これ」
「ははは。お祝いッスよ。外のお祭りもそうッス。なんたって、大災厄からファトルエルを守り切ったんスからね〜」

 そういってコーダはリクを奥へ奥へと背中を押して行く。
 そしてカルクに一席ずれてもらってファルガールの隣に座らせた。

「今日は兄さんが主役ッスよ。あの大災厄にトドメを刺したのは兄さんだし、何よりこれはファトルエルの大会の祝勝会も兼ねてるんスからね」

 流石にみんな疲れ切っていたので一日休んで今夜の祝勝会となったのだが、リクがなかなか起きてこない為、リクが起きるのをコーダが待って連れて来る手はずになっていたのだという。
 事情を全部話してもらっても、リクはこの状況に追い付く事はなかった。まだ呆然と自分に向かってグラスを掲げるみんなを見回している。
 ふと、カウンターに背を向け、入り口に向かって座っているリクの正面からジェシカがゆっくりと歩いて来た。
 さっきまでとは違い、ジェシカは笑顔ではなく非常に厳粛な雰囲気でリクにゆっくりと歩み寄って来る。

「リク様、恐縮ですが、目を瞑って頭を下げて頂けますか?」
「え? ああ、こうか?」
「ええ。そのまましばらく動かないで下さい」

 リクは顔をしかめながらも言われた通りに目を瞑り、頭を下げた。
 するとリクの首に何かペンダントのようなものが掛けられる。しばらく位置を調整しているのか、掛けられたペンダントが微妙に動かされた。

「結構です。リク様、目を開けてみて下さい」

 リクは頭を下げたまま目を開いた。
 その視界には掛けられたペンダントが入っている。リクはそれをゆっくりと手にとった。

「ジェシカ、これ……」
「世界最強の証“シルオグスタ”です。
 正式な決勝戦で勝ったわけではないので、本来渡すべきものではないのですが、非公式ながらあなたは決勝の相手であるジルヴァルト=ベルセイクに勝ち、しかもファトルエルを救い、その強さを十分に証明しました。
 そこで非公式にですが、今回このペンダントはあなたに贈呈する事に決まったのです。そして国王陛下はあなたと個人的に関わりの深い私が、あなたにそのペンダントを渡すように託されました」

 それは確かに十年前にファルガールの胸元に一度、そして大会前日式典に一度見たペンダントだ。このペンダントはファルガールやシノンなど尊敬すべき人々の手に渡って今、リクの胸元にある。
 ジッと見つめ、見た目より重いペンダントを手でもてあそんでいる内にリクの脳裏にここ三日間の闘いの記憶が蘇っては消えて行く。
 元々これを手に入れる為の闘いだったのだ。
 それを思い出すと、リクの顔はさっきから変わらない驚きと戸惑いの表情から、喜びの表情へと変化して行く。

「ありがとな、ジェシカ」
「よくお似合いですよ」

 リクのお礼に対してジェシカが笑みを返す。
 そしてどうやら幹事役らしいコーダがリクに飲み物を渡して店の真ん中に立った。

「さぁ、主役が参加したところで、もういっぺん乾杯いきやスよぉ! 皆さんグラスを手に取ってぇ……!」

 コーダの司会に従って全員がグラスを持ち上げコーダに注目する。

「兄さんの大会の優勝と、そして大災厄を無事撃退した事を祝ってぇ……カンパーイ!」
『カンパーイっ!』

 ここから主役を交えた本格的な宴が開始された。
 ほとんどが大会に参加していたので共通の話題には事欠かない。
 リクの武勇伝を始め、リクとカーエスのフィラレス救出劇、ファルガールの“ラスファクト”探し、大災厄の時のそれぞれの働き。

「コーダが召喚魔法!?」

 皆の報告の中で一番リクが驚きを見せたのはファトルエル北門におけるコーダの活躍の話であった。
 それを語っていたのは先ほどフィラレスの救出劇でも熱弁を振るっていたカーエスである。と言ってもほとんどの話題でカーエスはその喋りっぷりを見せている。

「せやでぇ。こう、『おいで、《シッカーリド》』とかゆーたら、空からでっかいサソリが降ってくるやろ? それにこいつが乗った思たら、サソリがピカッと光って全身凶器になって大暴れや。
 それ見とったカンファータ兵がやな、そこのヤリ女に“マスター・スコーピオン”やゆーて大騒ぎ!
 そんで俺が何で今までそれやらんかったんや、て聞いたら、こいつなんて答えたと思う? 『もしそうしてたら、あんたらの仕事が無くなるでしょう?』やて!」

 身ぶり、手ぶり、口真似。
 あらゆる口述的技術を駆使するカーエスの話は臨場感たっぷりだ。

「ただモンじゃねーと思ってたら、とんだおとぼけ野郎だな、コーダ。ファトルエルの大会に出れば、いいとこいってたんじゃねーのか?」

 話を聞いて驚嘆の目を向けられたコーダは苦笑して答えた。

「いやいや、俺あんまし闘うの好きじゃないんス」
「どーだか」

 大会の参加者全員に疑惑の目を向けられ、コーダは早急に話を変える必要を感じた。
 が、話題を変えたのはコーダではなかった。

「せやっ! 召喚ゆーたらあの白い鳥なんやねん!? 喋るし、白いし、でっかいし! そもそも現実にいる動物ちゃうやん!」
「なんやねんとか言われてもな。俺もあんましよく知らねーんだよな」

 困った顔でそう応じると、カーエスは両手でリクの両頬を摘み、引っ張った。

「よく知らんで済むかーい! なら何で召喚できたんや!?」
「ほんはほほひはへへも、ほんほひひはへーんはほ!(訳注・そんな事言われてもホントに知らねーんだよ!)」

 次の瞬間、カーエスは青ざめた顔をしてリクの両頬を摘んでいた両手を放して上に挙げた。その後ろではジェシカがカーエスの背中に槍を突き付けている。

「いかに無礼講とはいえ、あまりにも狼藉が過ぎるのではないか?」
「ふ、服っ! 服突き抜けとる! せっ背中に刃が当たっとるぅっ!」
「刺さないだけマシだ」

 泣きそうな顔で叫ぶカーエスにジェシカはしれっと応じる。
「刺しちゃえ刺しちゃえ。後で魔法で治してやる」と、リクもジェシカを焚き付ける。
「リク様の命とあらば」

 それを本気で取ったジェシカは槍を握る力を強める。
 カーエスは大急ぎでその場から飛び退いた。

「従うなぁっ! そんな理不尽な命令!」
「逃げるな。刺せないだろうが」
「だから刺すなァッ! んな槍振り回されたら誰かて逃げるわい!」

 机の上、椅子の上、あらゆる場所を逃げ回るカーエス。それを槍を揺り回して追い掛けるジェシカ。それを余興として楽しむ周りの者。
 当然無数の皿、グラスは割れ、テーブル、椅子は壊れたが、決闘の巻き添えになれている店の主人は止めるどころか声援を送っている。
 この宴は史上稀に見るバカ騒ぎとなった。


   *****************************


 時間は瞬く間に過ぎていった。騒がしかった大通りの祭りも既に終わり、いつもの静けさを取り戻している。
 大通りの店の中でたった一つだけまだ閉店していない店があった。リク達の宴の催されている酒屋である。
 宴の熱は冷めて来ており、大半が寝てしまうか、黙って酒を飲むだけになっている。

 リクもその一人だったが、グラスをカウンターに置くと、ゆっくりと立ち上がって表に出た。
 身を凍えさせる砂漠の夜気も酒に火照った身体には気持ちいい。
 リクは店入り口の段差に腰を下ろした。

 空を見上げてみると、満天の星空が夜の闇に身を置くリクの顔を照らし出す。
 前に見上げた空は大災厄の暗雲に覆われた空だった。何もかも上手くいってなければリクはこの星空を眺める事もなかった。そう考えるとこの星空が一層感慨深いものに見えてくる。
 そのリクは先ほどジェシカから受け取った“シルオグスタ”をその星空に掲げて見上げる。

「やれやれ、その世界最強のペンダントがそんなに嬉しいのか?」

 突然背後から話し掛けられたかと思うと、リクの隣にファルガールが腰掛けて来る。
 リクは数瞬言葉に迷うと、ちょっと照れた感じに答えた。

「世界最強が嬉しいんじゃねーよ。ただ、やっと十年前のファルに追い付いたんだって思うとさ」

 ファルガールに弟子入りしてから数十年。その間、リクの父親であり、兄であり、師であったファルガールは彼の憧れであり、届き難い目標だった。
 出会った時に見せられたペンダント。あの頃のリクにはそれが憧れのファルガールの強さの証なのだと理解していた。
 そしてカルクに話を聞いた時に、ふと思い出し、大会前日式典でカンファータ王の手の中にあるそれを見て確信した時、リクは思った。
 届き難い目標に手を伸ばす機会だと。
 リクにとって、“シルオグスタ”は世界最強の証なのではなく、憧れに一歩近付いた証なのだ。

 一方、ファルガールにはリクがそんな風に考えているのが意外だった。
 彼からしてみれば、リクはもう既に自分と同等かあるいはそれ以上の力量を持っていると疑っていなかった。
 リクがそこまで自分の力に謙虚になっているとは思わなかったので、ファルガールには既にあまり意味があるとは思っていない世界最強の証をどうして欲しがるのかがよく分からなかったのだ。

「……で、お前はどうする気なんだ?」

 かなりの間の沈黙の後、ファルガールがリクに尋ねた。

「俺は魔導研究所に行ってみたいと思う」
「教師にでもなりたいのか?」

 そう言ったファルガールの口元には皮肉な笑みが浮かべられている。

「まさか。まだ修行が足りないのに人に教えるなんて出来ねーよ」
「そりゃ大会に優勝してすぐ教師になった俺への当て付けか?」

 ファルガールに突っ込まれてリクはうっと詰まる。

「……そうなるなぁ」
「認めるのかよ」
「ま、教師になれるにしてもだ。俺には他に夢がある。大災厄をこの世から無くすって途方も無いヤツがさ。《アトラ》に力をもらった事もあるし、捨てるわけには行かねーよ。
 その為にはもっといろんな事を知らなくちゃだめだと思ったんだ。魔導研究所ならそういう資料も豊富だろうし、大災厄について研究してる人もいるかも知れねぇ」
「本音か? それ」

 そのファルガールの問いにリクはぽりぽりと頬を掻いた。
 そしてちょっと恥ずかしそうにぼそっと答えた。

「ホントは魔導文明の最先端ってのが見てみてーだけなんだ。それにカーエスとかクリン=クランとか、今回魔導研究所勢の強さが凄かったからな。あいつらが育った環境ってどんなものか興味がある」
「それでいい。無理に意識して夢に向かっていなくていいんだ。やりたい事をやってりゃそのうち夢に行き着くもんだぜ」

 リクの本音にファルガールはからからと笑ってみせる。
 その後しばらく二人の間に沈黙が訪れた。
 それを破ったのはリクの方だった。

「やっぱりこれからは別れるのか?」

 リクの問いにファルガールは一瞬躊躇した後に答えた。

「……そうだな。教える事は全部教えたし。“大いなる魔法”の事についても、手分けするほうがいい。それに俺はちょっと気になる事が出来たしな」
「気になる事?」
「グランベルク=ジャガントラの事だ」
「ああ、あの刺青ジジイの仲間の……」

 ファルガールがリクと離れている間に何をやっていたのかについては宴の時に大体の事を聞いていた。

「“ソーマ”といい、“烙印魔法”といい、奴らは魔導士の掟を無視してやがる。掟を無視した魔導士ほど怖ぇもんはねぇんだ。放っておいたら、その内大災厄より恐ろしい事になるかもしれねぇ」
「“ラスファクト”とかフィリーの“滅びの魔力”とかを狙ってたところを見るとそうとうヤバいことだろうな」
「オキナの仇のこともある。この黒幕にビシッとお灸を据えてやるぜ」

 ファルガールは右拳を左の掌に打ち込み、気合いを入れた。
 その横でリクがすっくと立ち上がり、数歩足を進めると、ファルガールに背中を向けたまま言った。

「十年か……長いようで短かったな」
「ん?」
「俺さ、十年前のあの大災厄をそれほど辛いと思ったことねーんだ。信じらんねーだろ? 親目の前で失ってるのにな。なんでだと思う?
 それは今までの十年間があったからなんだぜ。ファルと出会って、魔法を教えてもらってどんどん強くなってさ。いつも『有り難き苦難だろ?』とか言って、いろいろムカつく事もしてくれたけど、この十年間、俺は楽しかったよ」
「リク……」

 そしてリクはくるりとファルガールのほうを向いて続けた。

「この十年、俺の師匠でいてくれてありがとな。俺、すげー感謝してるよ。ファルがいなかったら俺はきっとこの場には立てなかったし、この世にもいなかったかもしれない。いても今の俺じゃいられなかった」

 そうして丁寧に頭を下げるリクの顔は照れも混じった柔らかい表情で、言葉が嘘偽りない彼の気持ちそのものである事を表している。
 ファルガールも微笑み、頭を下げたリクの頭を撫でた。

「礼を言うのは俺の方だ。十年間、よく頑張ったな」


   *****************************


 翌朝、リクは宿の似非ベッドで目を覚ました。
 上半身を起こし、堅いベッドで凝り固まった身体をバキバキ鳴らしてほぐすと隣のベッドを見た。
 そのベッドは空だった。荷物も半分減っている。

 それは分かっていた事だった。ファルガールは昨夜の内に、今朝早くに出発する旨をリクに伝えていた。
 だがこうして見ると、この十年間一緒にいたファルガールが本当に離れてしまったことに実感が湧き、胸が締め付けられるような気持ちになる。

「……俺も荷物をまとめなきゃな」

 荷物をまとめて階下に降りると、そこにはオウナがいつものように宿の掃除をしており、リクに気がつくと朝食を用意してくれた。
 昨日はまだオキナが死んだことを知らなかったので普通に接することが出来たが、昨夜の宴で、そのこともファルガールから聞いていたので今朝は態度に迷った。
 対するオウナは全く普段と変わらず、ぼけっと自分を見ているリクに「なんだい人の顔をじろじろ見て。あたしに惚れでもしたのかい?」と、思わず顔をしかめてしまうような冗談を言ったりもした。

 朝食を食べ終わり、チェックアウトをして宿代を払おうとするとオウナはそれを辞退した。
 昨日ペンダントと一緒に優勝賞金もたんまりともらっていたので払えない心配はないのだが、それでもオウナは代金を受け取ろうとしなかった。

「あんたの大会優勝記念さ。これからも頑張りな」
「ああ、ありがとな」

 その後、リクは曲がりくねった道を四苦八苦してどうにか大通りまで出た。向かうは四本の大通りが交差し、大決闘場のある広場である。
 そこにはこう書かれた看板が立っていた。

『コーダのサソリ便乗り場』

 その傍には立派な砂色の運搬サソリが停泊しており、そのサソリの甲殻を白髪に褐色の肌をもった青年が丁寧に磨いている。
 その青年はリクに気がつくと嬉しそうな顔をして駆け寄って来た。

「兄さん!」
「よ、コーダ。レンスまで乗せてくれるか?」
「勿論ス。あと二人予約入ってるんで、もう少し待ってくれやスか?」
「二人?」

 聞き返す二人の後ろで、ざざっと足音が止まった。
 振り返るとそこにはまっすぐに伸びた黒髪と白い肌をもつ可憐な少女と、同じく黒髪の眼鏡をかけた少年が立っていた。

「カーエスに……フィリー?」
「なんやリクも師匠に見捨てられたんか」
「見捨てられた?」

 カーエスはちょっとぶすっとした表情でリクに封のきられた封筒を投げて寄越した。
 それはカルクからカーエスに宛てたものだ。

「読んでいいのか?」

 カーエスがこくりと頷く。
 それを確認してからリクは封筒から便せんを抜き出し、畳んだ状態にあるそれをぱらりと開いた。

『いきなりで済まないが、私とマーシア、クリン=クランはファルガールについて行く事にした。
 自分でも無責任な行動だと思うが、お前の場合はファトルエルの決闘大会に出場を決めた時点で教えることは全てなくなり、修行は終わった。後は実戦の経験を積んで行くだけだ。
 今回の大会では惜しくも負けたが、お前の“魔導眼”があれば経験次第で幾らでも強くなれる。
 もちろん何を経験するかはお前が自分で決めるんだ。
 お前の望むままにするといい。
 お前の夢が叶うことを祈っている』

「起きた時にはベッドの上にその置き手紙を残していなくなっとった」
「ふーん」
「ふーん? なんやその反応は!」

 リクの相槌にカーエスがなぜか突っかかって来たのでリクはちょっと戸惑った様子を見せた。

「いや、何やって言われてもなぁ……」
「何のんびりしたこと言うてんねん! ええか、カルク先生はファルガール、つまりおんどれの師匠についてったんや! だから、先生が俺を見捨てたんは弟子のおんどれの責任でもあるんやで!? 俺のカルク先生を返しくされ!」
「んなメチャクチャな……」

 思わず身を引くリクだが、カーエスはまだまだ迫ってくる。
 いい加減倒れそうになったところで状況の変化は起こった。
 後ろからリクの肩ごしに何か棒のようなものがカーエスの喉元に向かって伸びたのだ。瞬間、カーエスは硬直し、どっと脂汗を流しながらリクから飛び退いた。
 そしてカーエスは恐ろしげな顔でリクの背後を指差す。

「や、や……」
「ヤリ女とでも言いたいのか? この腐れメガネ男。少し目を放すとすぐにリク様に無礼をはたらく」

 リクが振り返ったところで槍を突き出していたのは少し巻き毛気味の長い髪を持つ軽甲冑姿の美女である。

「ジェシカ!?」

 ジェシカはリクに名を呼ばれるとさっと膝をついて恭しく礼をした。

「リク様。私カンファータ王家には暇を頂いて参りました。どうか私もリク様のお供にお連れ下さい」
「つ、ついて来るのは一向に構わねーんだけど、お供にってのはちょっとなぁ……」

 このジェシカにもちょっと引きながらリクは答えた。
 その答えにジェシカは更に顔を挙げて言った。

「ならば護衛でも家臣でも奴隷でも構いません」
「ちょっと待ていっ! 今一個変なモンが入っとったぞ!」
「じゃ、友達と旅仲間って事で」

 途中ジェシカの背後からカーエスの突っ込みが入ったが、それは簡単に流された。
 それは槍を突き付けられるより辛いことなのか、カーエスは両手をついてがっくりしている。

「しかし私などがリク様と対等の関係などと……」
「対等でいーんだよ。人の上に立つ柄じゃない。それとも俺なんかと対等じゃ嫌か?」
「……いえ、身にあまる光栄です」

 そしてリクは今までフィラレス達の荷物を上げていたコーダに荷物を渡しながらもう一人客が増えた旨を伝え、コーダはそれを喜んで承諾した。

「いいっスよ。ジェシカさんなら歓迎ッス。さぁ、皆さん乗って下さいね〜、もうすぐ『コーダのサソリ最終便・魔導研究所行き』出発しやすよ〜!」
「最終便? 魔導研究所行き? レンスまでじゃないのか?」

 客席に乗り込みながらリクが眉をしかめていると、コーダは『コーダのサソリ便』と書かれた看板を引き抜き、リク達の荷物と一緒に荷台に放り込んだ。
 そして御者席に座り、後ろにいるリクにニカッと笑いかけた。

「つれないッスね、兄さん、ジェシカさんなら連れていけて、俺は連れていけないって言うんスか? 俺の場合は連れて行かないって言っても無理矢理ついて行きやスよ〜!」
「いいや、大歓迎だよ。コーダがいると足に困らねーし」
「嬉しいことを言ってくれやスね。よ〜し! 今日は出血大サービス! 《シッカーリド》“運搬モード”の速さの限界に挑んじゃいやしょう!」
「「ちょ、ちょっと待てぇぇぇ!」」

 以前地獄を体験したリクとカーエスから抗議が上がるが、上機嫌のコーダには、もはや何も聞こえない。
 どこに繋がっているのか分からない手綱を一打ちすると、《シッカーリド》は一気に加速し、三人分の悲鳴を残して去って行く。
 途中、ファトルエル西門で門番をしているカンファータのファトルエル常駐兵達をはねとばしそうになったが、彼らは身じろぎもせずに元気良く声を張り上げた。

「「ファトルエルへまたのお越しを!」」



 これは余談なのだが、リクがフィラレスの魔力を借りて放った《無限の波動》は砂漠の砂を抉り、北に向かって真直ぐ大きな溝を作った。
 そしていつしか、その溝の端に当たるところから水が湧くようになり、その溝は砂漠を突っ切る巨大な運河となった。
 その運河は砂漠に潤いを与え、不毛の地に森を育んだ。

 そしてこの時から三百年後ファトルエル以北に巨大な森が出現する。
 誰ともなしにこの森は『リクエールの森』と呼ばれるようになり、この森の誕生にまつわる伝説としてファトルエルの決闘大会に出場していた一人の青年魔導士と大災厄と呼ばれる巨大な蛇の怪物との闘いが語られるようになったという。

            魔法使い達の夢 第一部 〜ファトルエルの決闘大会〜 完

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